"Measured Against All-Time" フェリックス"Tito"トリニダード!|Go↑kunの海外ボクシング記♪
最近は過去のボクサー回想が楽しいです!
日本ボクシング界にも精通するクリフ・ロールドさんの特集、
"Measured against all-time"を勝手にシリーズ化していこうと思います(笑)
簡単に言うと…特定のボクサーはどの程度評価されるべきか、
オールタイムグレート達と比較してどうなのか、
この辺りを、例によって対戦した相手や結果等を基にまとめるというものですね。
一発目がトリニダード…。怖いですねぇ…。
水道橋GLOVEマスターの一番のお気に入りボクサーということで…。
私見ではなく、訳なのでご勘弁下さい(爆)
何度も申し上げますが…適当訳です。誤訳、誤報、誤字、脱字、ご容赦下さい。
【以下ニュアンス訳】※クリフ・ロールド氏
ボクシングのテクニックは教えられるものであるし、スキルは磨くことが出来る。しかしボクサーにおける2つの要素は生まれながらに持っているか否かである。
カリ スマ性とパワー
この2つだ。プエルトリコはキュペイ・アルトのプライド、フェリックス"Tito"トリニダードは1990年代~2000年代序盤に輝いたボクシング界最大のスターである。彼はこの2つ、カリスマ性とパワーを兼ね備えた類稀なるタレントの持ち主だった。この男が何処まで上り詰めるのか、頂上は見えなかったが、最終的には音を立てて崩れていった。
2001年9月11日、世界中が同時多発テロにショックを受けていた時、ボクシング界にも小さなショックがあった。多いに期待されていたニューヨークのマジソンスクエアガーデンで行われる予定だったミドル級タイトルマッチが9月15日から29日に延期になったのだ。しかし結果と日程は関係なかっただろう。
フェリックス・トリニダードがバーナード・ホプキンスと出会った のだ。
この時、既にトリニダードは終わっていたのか。
もうあれから10年が経過しようとしているのか。
あれいから10年、そしてバーナード・ホプキンスが親父タイムを継続中で、もうすぐ防衛戦を控えるというこのタイミングが振り返るには一番ではないか。
トリニダードは、オールタイムでどの程度評価されるべきなのかを考えることにした。
答えを求める為に5つのカテゴリーを検討してみる。
1.達成したこと
2.対戦した相手
3.実現しなかった対戦相手
4.逆境に陥った時の対処
5.他に証明すべきことがあるか
先ずはプロフィールから紹介しよう。
誕生日: 1973年1月10日
身長: 5'11
出身: プエルトリコ、キュペイ・アルト
プロデビュー: 1990年3月10日(vsア� ��ヘル・ロメロ、2RKO勝ち)
プロ戦績: 42勝35KO3敗
タイトル戦績: 20勝16KO1敗(1KO負)
タイトル歴:
IBFウェルター級(93年~99年、15度防衛) WBCウェルター級(99年)、WBAJr.ミドル級(00年~01年、2度防衛) IBFJr.ミドル級(00年~01年)、WBAミドル級(01年)
勝利した王者:
モーリス・ブロッカー(2RKO)、パーネル・ウィテカー(12RUD)、オスカー・デラ・ホーヤ(12RMD)、リカルド・マヨルガ(8RTKO)、ジェイク・ロドリゲス(10RUD)、ヘクター・カマチョ(12RUD)、ヨーリ・ボーイ・キャンパス(4RTKO)、フレディ・ペンドレトン(5RKO)、デビッド・リード(12RUD)、フェルナンド・バルガス(12RTKO)、ウィリアム・ジョッピー(5RTKO)、ハシーン・チェリフィ(4RTKO)
敗北した王者:
バーナード・ホプキンス(12RKO)、ロナルド・ライト(12RUD)、ロイ・ジョーンズJr.(12UD)< /p>
状態は、モハーベ砂漠のカバーを何
1.達成したこと
トリニダードは17歳でJr.ウェルター級ファイターとしてプロデビューを果たす。直ぐに身体も成長しウェルター級へ上げたトリニダードはプロ転向後19連勝(16KO)をマーク。20歳にしてIBFウェルター級タイトルに挑戦することとなった。記憶に残るテリー・ノリスvsトロイ・ウォータースのJr.ミドル級タイトルマッチのアンダーカードであった。
93年6月19日、トリニダードはベテラン、モーリス・ブロッカーをKOで下し、20勝17KO無敗の戦績で初のタイトルを獲得した。勢いは増すばかりだった。同じ年、早くも2度の防衛を成功させ、翌年には3度の防衛(2KO)を果たしブレーク。
防衛回数は順調に伸び続け、トリニダードが初めてのタイトル 統一戦を行なう時には14回を数えていた。統一戦はご存知、世紀の一戦として多額のお金が動くことになった、オスカー・デラ・ホーヤ戦である。議論が多く交わされることになったものの、99年9月18日、マジョリティデシジョンでデラ・ホーヤを退けたWBCのベルトを吸収した。
ウェルター級のベルトを統一したトリニダードは、2000年に階級を上げてWBA世界Jr.ミドル級のベルトを獲得。そして年末までにIBFのベルトも続けざまに奪いタイトルを統一。更に上の階級を目指すことになる。
当時L.ヘビー級の王者だったロイ・ジョーンズJr.とのビッグマッチも噂される中、トリニダードはドン・キングとHBOが企画したミドル級統一トーナメントに目玉として出場。WBA王者のウィリアム・ジョッピー、WBC王者のキース・ホームズ、そして� ��BF王者のバーナード・ホプキンスがエントリーした凄い企画であった。初戦でジョッピーを一蹴し、ベルトを獲得したトリニダード。ホームズをぎこちなく下したホプキンスとの決勝を前に、断然優位との見方が一般的だったと記憶している。
思えばジョッピー戦の勝利が、トリニダードのタイトル戦最後の勝利であり、ホプキンス戦が最後のタイトル戦であった。このホプキンスとのビッグマッチに12RTKOで敗れたトリニダードは、2002年5月、29歳の誕生日の1か月後にプエルトリコで再起している。
しかし2002年7月、トリニダードは突然引退を発表し、ボクシング界を驚かせる。もっともその後復帰をして3度程戦ってはいるのだが。04年、05年、そして08年に復帰をして、最後は判定で連敗を喫し、リングを離れた。
世界タイ� ��ルの他にも多くの栄誉ある賞を獲得しているトリニダード。
・2000年リング誌最優秀選手
・2000年BWAA最優秀選手
・2000年USA Today最優秀選手
・2000年USA Today年間最高試合
・2001年リング誌年間最高ラウンド
・2002年リング誌が選ぶ過去80年間のTOP80で51位
・2002年リング誌が選ぶ過去80年間のJr.ミドル級最高試合で1位
・2003年リング誌が選ぶハードパンチャーTOP100で30位
・2009年Boxing Sceneが選ぶウェルター級TOP25で21位
2.対戦した相手
トリニダードもキャリアの序盤は他の多くのファイターと同じ様にテスト的な試合を行ない、徐々に対戦相手のレベルを上げていったと言えるだろう。そしてお供は父であるフェリックス・トリニダードSr.であった。13戦目で後のJr.ウェルター級王者、ジェイク・ロドリゲスを10R判定で下している。3戦後、53戦のキャリアを誇る強豪、アルベルト・コルテスとの試合ではトリニダードは2度のダウンを喫するが、3R目に逆転KOで下す。コルテスにとってはたった3度目の敗北であった。
enviormentに何が起こっている
トリニダードが最初にタイトルを奪ったブロッカーは確かに下り坂ではあったが、経験豊富な元ウェルター級統一王者だ。そして翌94年はトリニダードのウェルター級キャリアにおいて最高の年であっただろう。ヘクター・カマチョ、無敗で後の世界王者ヨーリ・ボーイ・キャンパス、そして無敗のオーバー・カーから次々と勝利を重ねた。前述の通り、キャンパス戦、カー戦ではダウンを喫しながらも逆転KOで沈めている。
95年~98年はどちらかと言えば対戦相手に恵まれなかった時期だっただろう。マネージメントやプロモーションの問題からビッグファイトが実現せず、キャリアの絶頂ともいえる時期を活かせないフラストレーションがあったに違いない。
1999年、マイク・タイソンとフリオ・セサール・チャベスの落日と共に、ドン・キングはトリニダードに力を入れ出す。マディソンスクエアガーデンでビッグネーム、パーネル・ウィテカーとの試合が行われたのだ。落ち目だったとはいえ、ウィテカーにとって唯一無二の完敗がこの試合だっただろう。そして1試合を挟み、無敗のスーパースター、オスカー・デラ・ホーヤ戦が行われる。試合内容はともかく、金銭面、興行面では正に実現すべきスーパーファイトだったことは確かだ。
2000年もトリニダードはホットだった。元五輪選手で無敗だったデビッド・リードを下し、フェルナンド・バルガスとの記憶に残る激戦もこの年だ。バレラvsモラレスの激闘と共にファンの記憶に刻まれる試合だった。2002年リング誌は、このトリニ� ��ードvsバルガスの試合を過去80年間にJr.ミドル級で行われた中で最高の試合だったと位置づけている。
ジョッピーはトリニダードと対戦した時、1敗と記録にはあったが、97年、フリオ・セサール・グリーンに喫した敗北は疑惑の採点だったとされ、ファンはジョッピーを無敗の選手だと認識していた。そしてホプキンスはご存知の通り、既に30代半ばだったが、当時世界最高のミドル級の名を欲しいままにしていた。
ホプキンス戦以降もトリニダードはタフな試合を続けている。リカルド・マヨルガは元統一世界王者だったし、ウィンキー・ライトはシェーン・モズリーを下し、PFPリストに名を連ねる程だった。
トリニダード最後の試合はマジソンスクエアガーデンでのロイ・ジョーンズJr.戦だった。
3.実現しなかった対戦相手
トリニダードが対戦出来なかった相手は誰だろうか?そんなに多くはいないはずだ。
次はWBAウェルター級王者として長く君臨していたアイク・クォーティだろう。"Bazooka"は凄まじいジャブとパワーで良い試合をたくさん提供してくれた偉大なファイターだ。99年にクォーティがデラ・ホーヤとの接戦に敗れる前に無敗同士で対戦していたら、もの凄い盛り上がりと試合が観れたのではないか。147ポンドでは、ジェームス・ページ、ホセ・ルイス・ロペスの名前も取り上げておこう。両者とも王者であったからだ。
Jr.ミドル級ではテリー・ノリス戦も噂された試合だった 。ジャビエル・カスティジェホ、あるいはシェーン・モズリーとの対戦も興味深かったかも知れない。階級を変える少しのタイミングで実現しなかったのだろう。
人種的プロファイリングとは何でしょうか。
4.逆境に陥った時の対処
トリニダードのキャリアを語る上で外せない点だろうか。立ち上がって逆転KO勝ちをするというのがトリニダードだからだ。ジョー・ルイスの様にダウンを挽回し勝利を手にする姿は印象深かった。カリスマ性、パワー、そしてこの逆転KOをする力があったからこそ、トリニダードはプエルトリコ史上最も愛されるファイターとして現在も人気があるのだろう。
トリニダードの顎は弱かった。彼が足に来てるのを何度観たことだろうか。ホプキンス戦前では、コルテスが最も多くのダメージを与えただろう。ホプキンスは何度も強烈なパンチを浴びせたものの、終盤まで試合はもつれたのも事実だ。トリニダードは 打たれ強くはなかったが、回復力は高かったのではないだろうか。
勝利の為にはルール違反をすることも何度かはあったはずだ。あからさまにローブローを放っていくタイプではなかったが、際どい行為は少なくなかった。ホプキンス戦前には、バンテージの巻き方も問題視された。大きな問題にはならなかったが、批判の対象となった時期もあったはずだ。
デラ・ホーヤ戦、ホプキンス戦、そしてライト戦で露呈した様にテクニシャンには弱かったのではないか。間違いを恐れずに言うなれば戦い方がワンパターンであったのではないか。プレッシャーをかける以外の戦い方が出来なかった。ライト戦ではそれが最悪の形で出たと思う。前に出てはジャブを喰らい続けた。
5.他の証明すべきこと
ロイ・ジョーンズJr.� �以降、復帰の噂はない。これ以上、今から証明出来ることは無いと言っても良いだろう。
総括:Measured Against History
強烈な左フック、研ぎ澄まされた右ストレート、常にプレッシャーをかけ続け、相手のメンタルとフィジカルを粉砕していく姿は強烈な印象を残している。トリニダードのピークから10年以上経過したことが信じられない程、鮮やかな記憶だ。と同時にトリニダードは今でも40歳になっていないことも信じられない。若くして引退したとまでは言えないが、多くのスーパースター達が去り際に苦労する中、良い決断をした方だろう。
偉大なキャリアであったことは間違いないが、オールタイムグレートと比較するとどうだろうか。答えは観方によって変わるかも知れない。トリニダードは恐らく将来殿堂入りをすることは間違いないファイターである。
彼の素晴らしいキャリアを振り返ると、ウェルター級次代の1995年にプ ロモーショナル問題でウィテカー戦が実現しなかったことがどうしても悔やまれる。それと同様に1997年に実現しなかったクォーティ戦も残念でならない。
彼の身体は成長続けていたし体重もきつかったはずだが、トリニダードはウェルター級にとどまり、ビッグファイトを求めていた。実現すべき試合があったのは確かだろう。ファンにとっては間違いなく、トリニダードが最高の時代に観たかった試合があった。
デラ・ホーヤ戦でのパフォーマンスを見れば、トリニダードがどれだけウェイトに苦労していたかを想像出来る。特にその後154、160でのパフォーマンスを見れば尚更だ。デラ・ホーヤを相手に見せた試合はウェイトの苦労を考えると見事だったとも言える。
デラ・ホーヤ戦の中盤は確かにデラ・ホーヤが上回っ ていただろう。しかし序盤と後半はどうだっただろう。デラ・ホーヤは9Rに右を喰らって以降、全く前に出なくなった。1R、2R、そして4Rは判定するのが難しいところだ。しかしオフィシャルジャッジは2Rと4Rはユナニマスでトリニダードに付けているのだ。
もしトリニダードが若いウィテカー、そしてクォーティと戦っていたなら、デラ・ホーヤ戦の内容がここまで言われることはなかっただろう。トリニダードはその時代で本当に最高のウェルター級だったのかどうか、本当の意味で証明が出来なかったからだ。しかしトリニダードは史上最高のウェルター級ボクサーのトップ25に名を連ねている。もっと上に行く可能性もあったということだ。
Jr.ミドル級ではカスティジェホ戦が実現出来なかった戦いだ。モズリー戦もそうだろうか。しかし元金メダリストで当時無敗のWBA王者デビッド・リードを下し、更にフェルナンド・バルガスをも下した。バルガスはトリニダード戦以降、別のファイターになってしまったと思える程だ。トリニダー� ��戦前は、クォーティやライトに勝利していたのだから。トリニダードにとっても格別の勝利だった。ミドル級では、当時ミドル級のトップ2と戦い、勝利と敗北を味わった。これ以上は望めない。
結局、トリニダードに対しては、批判よりも圧倒的に好意的になってしまう。偉大なファイターの条件は十分に満たしていると思う。1990年代で最高のウェルター級ファイターは、トリニダードの他に考えられるのは、ウィテカー位だろう。ウェルター級での防衛回数はヘンリー・アームストロングに次いで2番目だ。Jr.ミドル級での歴史上評価だって高い。トミー・ハーンズやマイク・マッカラムに次ぐ位だろう。
又、彼はとても人気があった。ファイターの偉大さを語る上で、いかにファンに愛されたかは外すことが出来ない要素な のだ。プエルトリコ出身のボクサーとして、リング上では、カルロス・オルティス、ウィルフレド・ゴメス、あるいはウィルフレド・ベニテスには劣るかも知れないが、人気はNo.1ではなかったか。
フェリックス・トリニダードはもっと出来たボクサーだと思う。しかし殆どのボクサーはそうではないか。トリニダードが達成したことは十分過ぎる。シュガー・レイ・ロビンソンの様なオールタイムのPFPランキングでNo.1を争う存在ではないだろう、しかし1人の偉大なボクサーとして多くの人の記憶に残っているのだ。
当時、試合の度にプエルトリコ中が、"Tito!Tito!"の大合唱になった。その歓声はボクシングを観ていない人の家にまで響き渡った。しかし誰も文句を言う人はいなかったらしい。その歓声を聞いた人は、大きく頷� ��、笑顔になったとか。
トリニダードの評決: ALL-TIME GREAT!
以上
うぅ…書き始めてから…2か月位かかってます(笑)
だいぶ適当な文章になってしまいました…すみませんです。
テツキチさん…いつもありがとう御座います!貴重なトリニダード特集!
やっぱり"Bazooka"クォーティとの対戦が一番観たかったですな…。
でも…オールタイムグレートで良かった!
チャオ~♪♪
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